本日の読売新聞朝刊の11面(文化面)の『リベラリズム未来はあるのか』という特集に、北海道大学の吉田徹先生と高崎経済大学の三牧聖子先生と並んで取り上げていただきました。
三牧先生が訳されたヘレナ・ローゼンブラットの『リベラリズム失われた歴史と現在』、吉田先生の『アフターリベラル』、そしてリベリベの共通かつレイヤーの違う問題意識を集約した素晴らしい記事でした。
①「リベラル」という言葉が本来の意味の変遷だけでなく党派的になりすぎているけど本来そんなんじゃなかったのでは
②リベラルと保守の概念の境界線の相対化(弱める)は可能だしすべき
③自己批判こそリベラルの要諦だから、今こそなぜリベラルの言葉が届かないか自己批判すべきとき
こんな通奏底音が流れてる記事です。
でも、まだまだリベラリズムいけるっしょというトーンで、希望もあります。
私は一番言いたかったことを最後にまとめたいただきました。
是非ご一読いただけると嬉しいでっす!
自分の気にくわない言い方や考え方を怒って変えさせたり謝らせたり、それが正義みたいになりがちですからね。自分の中にも変わるべきところがあるんじゃないの?という問いを発していきたいと思います。
以下引用
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倉持氏も枠組みにとらわれないことを重視する
「リベラリズムですべてを説明しようとしない方がいい。自由や寛容を守ることが前提だから、間違えたら弾力的に自分も仕組みも変えればいい」と説く
『リベラルの敵はリベラルにあり』もまだの方は是非